シリコンバレーの公立学区の境界は、どうして複雑なのか?

不動産エージェントの桜井きゃらです。

新型コロナウィルス感染がまだおさまらない中、アメリカでは、各地で新学期が始まりました。

日本と違って、夏休み明け8月中旬くらいから、次の学年へ進級して新学期が始まるアメリカでは、学校開始日は、公立学校でも学校区によってまちまちです。

日本では、公立校は、各都道府県や各市町村の教育委員会が管理運営するため、新学期のスタートや学期終了の日程は、多少のずれがあるもののほぼ皆同じです。

ところが、アメリカの公立校は、学校区(School Districts)によって、学期開始日も異なり、授業開始時間やカリキュラムさえ違います。

どこでも大体同じスケジュールで、同じ教育を受けられる日本の公立校に慣れていると、アメリカの公立校とのシステムの違いに、カルチャーショックを受ける方も多いのではないでしょうか。

こうした学校制度の違いをさらに大きくしているのが、学校区の境界です。

アメリカ国内でも、東海岸などの一部の地域では、日本と同じように、学校区が市町村の管轄下にあり、市の境界が学校区の境界と一致しているところもあります。

ところが、シリコンバレーの公立校の学区の境界は、市町村の境界とは全然異なります

また、その学区内の学校に通うには、その学区内に居住していることが条になります。

しかし、それぞれの学区の境界が複雑なため、単純にある市内に引っ越しすることで、必ずその学区内に入れるかどうかはわかりません。

一つの市に引っ越したものの、同じ市内なのに、目の前の道路から向かい側は別な学区で、こちら側の学区は他の市の一部まで同学区、なんてこともあります。

では、どうして、シリコンバレーの公立学校区(School Districts)の境界が、こんなに複雑なのでしょうか。

 


その1:シリコンバレーの公立学校区(School Districts)は
地方自治体や市町村の一部ではなく、独立した特殊法人である。

 

日本では、東京都新宿区に引っ越せば、新宿区立の小学校へ通うことになり、新宿区役所の教育委員会が新宿区内すべての公立校を管理しますね。

ところがこちらでは、住所はサンタクララ市でも、学区域がクパティーノ学区であれば、クパティーノ学区の小中学校が割り当てられます。

クパティーノ学区は、サンタクララ市にまたがっていても、クパティーノ市をカバーしていても、それら市町村とは別に、クパティーノ学区という組織で、その傘下にある公立学校を管理運営します。

つまり、学校区というのは、ここでは地方自治体からも独立した一つの特殊法人として、学区独自の判断を下すことができる団体なのです。

そのため、隣り合った学区でも、学期の始業日や終業日が違ったり、カリキュラムなどの内容も違ったりするわけです。

各学校に校長がいて、学校を監督するように、各学区にもスーパーインテンデント(Superintendent)と呼ばれる学区の理事長(教育長)がいます。

各学区の理事会役員(教育委員会委員~board of educationまたはschool board)は、地元住民の一般投票の直接選挙で選ばれ、理事会役員が理事長を選任する場合が多いです。

ちなみに、各市や郡、またカリフォルニア州にも教育委員会、教育局が設置されていますが、州で実施される統一テストの取りまとめなどは管理していますが、実際の細かい学校運営方針などを決定するのは、各学校区の理事会です。

そして、学校区の境界を決めることも、州や市町村ではなく、学校区の理事会にゆだねられています。

州や市町村に質問しても『学校区の境界については、各学校区に問い合わせてください』と言われてしまうのは、このように、学校区の境界は市町村や州ではなく、学校区が管理しているからです。


その2:学校区は発足当時から自治運営の権利を与えられていた。

 

カリフォルニア州がアメリカで31番目の州として発足したのが、1850年9月9日

サンノゼ市は最初の州都に選ばれました。

日本では、江戸時代後半、この3年後の1853年にアメリカのペリーが黒船で神奈川県の浦賀に来航、という時代です。

この年にサンノゼダウンタウンで、大きなブルーデニムのテントを張って最初の公立校が始まったとか、サンフランシスコの古いバプティスト教会で無料の公立学校を開いたのがカリフォルニア州最初の公立学校だ、等々の記録が残っています。(私立の学校はもっと以前からあったようです。)

そして、1851~1855年にかけて、地元の評議会は、それぞれの学校区に、自分たちで学区を管理する権限を与える決定をし、マウンテンヴューなど各地で学校区が作られていくことになりました。

学校区と言っても、当時は小学校などの初等教育が中心で、一つの公立校が一つの学区域を形成していました。

徐々に各地に学校ができ、急激な人口増加に伴って、学校区域も他の市町村にまたがる形で広い範囲をカバーせざるを得なくなってきます。

あちこちの学区に小さな学校が散らばっている状態では、効率が悪いため、公立校の経営健全のためにも、学校区が統合するようになります。

当時は、高等教育を受けられるのは、一部の裕福な家庭の子供で、私立高校へ通っていました。

公立高校は別な独立した学区として、1890年代以降、設立されるようになりました。

そのため、今でも、高校小中学校は同じ地域でも別な学区に分かれているところが多いです。

第二次大戦後、1960年辺りから、さらに人口増加で、次々に公立学校ができ、学区の統合は続き、学区域が広がっていきます。

こうして学校区はアメーバのように市の境界をまたがって広がり、まるでジグソーパズルのように、雑な境界線を形成していったわけです。


その3:現在も学校区は自由に境界を決められる。

 

学校区は、常に、各学校に通う生徒の頭数をカリフォルニア州や地方自治体に報告しなければなりません。

なぜなら、この生徒数によって、運営予算が増やされたり、削られたりするからです。

例えば、ある学区で、若い住人の出入りが少なく、子供の数が減ってきた場合。

当然、その学区の生徒数も、年々減ってくるという現象が起きます。

学区内の生徒数が減ると、学校の運営予算が減らされて、教員やクラス数、プログラムの数も減らさなければ運営できなくなります。

そこで、学区の理事は、学校の保護者との公聴会などを開いて、別な学区との統合や、学区域を広げることを検討する場合があります。

最終的に地元住民と学校区の理事会が境界の統合や変更を決定すれば、その年の新学期から、別の学区へ通っていた生徒たちが、この学区内の学校へ転校させられることになります。

そのため、学校区の境界に関しては、常に、最新の情報を元に判断しないと、去年までは違う学区だったのに、今年からは同じ学区になる地域が出てきたりします。

最近では、各学校区で、School locatorと言って、自分の住所を入れると、その学区内に通えるか、どの学校が割り当てられるかが表示されるオンラインツールを出しています。

これから公立校へお子様を入れたいと考えていらっしゃる方々は、こうした各学区のオンラインツールを利用して、最新の学校区情報を確認されるとよいでしょう。

 

 

カリフォルニア州の学校制度については、外務省の諸外国の学校情報、カリフォルニア州のウェブページをご参照ください。

参考資料:”How Did We End Up With 54 School Districts in San Mateo and Santa Clara Counties?” Silicon Valley Community Foundation

 

 

 

 

 

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